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 惡が惡として断罪されるのではない。
 正義の前に立ちはだかったものが惡なのだ。

 違う違う違う違う。

 負けた方が惡なのだ。
 結果が全てなのだ。
 因果応報などというのは善悪ではなく、勝敗によって紐解かれる。2歳児でも知っている。

 勝てば官軍、負ければ賊軍と大昔から決まっておる。負けが嫌ならば、逃げるが得策。逃げるが勝ち・・・とまでは言わないまでも、逃亡者は惡ではないわけで云々。

 動物たちは負ければ喰われるか、或いは孤独に陥る。遺伝子の淘汰だ。
 人間は負ければ惡というレッテルを貼られる。
 ただし、少なくとも現代日本においては負けても死ぬということはそうそう無いのだから、他の動物に比べて人間が特別不利を背負っているということはない。死の代わりの惡、惡の代わりの死だ。要するに、死と惡は同義である。等値だ。
 実際、惡を背負わされたが故に、それを解き放つがため故に、自ら死を選ぶ者たちがいるではないか。彼らは人としての惡よりは、敗者としての死を潔しとしているわけだ。面倒くさくなって死ぬんじゃない。誰かのためじゃない。己がために死ぬのだ。
 そんな彼らを指差して嗤う者も多い。死んだら全部台無しじゃんとか、生きて償えとか、雪辱のために戦い抜けとか、あたかも己の考えが全宇宙の真理であるかのごとくのたまう。恐ろしいことだ。
 しかし、それもやはり一つの真実であるが故に云々。

 ただし、死と惡が等値であるというのは敗北者に限ってのことであって、自ら惡を志した者の罪が死によって消え去るわけではないわけで云々。

 ところで惡でない者に惡のレッテルを貼ってしまい、しかもそれが永劫にわたって正義であると自他が共に認める場合、彼の者は死後、いかように裁かれるのであるか。裁かれる?裁かれるなどと!スンスン。


   かんれん!

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