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ウ○コ食べたりする話注意



 犬 (か如何かの判別はつかないのだが) のウ○コを口に含み、思わず光の速さでウ○コもろともゲロンチョし、しかし落としたハンカチでも拾うかのように平然と吐瀉物交じりの汚物を手に取り、諦めることなく口へと運び、案の定水っぽいゲロンチョを繰り返す。見ている者もやっている者も「ちょwwwwウ○コまじパネェwwwwwwwww」といった風情で、とにかく喰らっては嘔吐する・・・・という動画がある。
 私は嗜好としてのスカトロジィというものを判然とは理解できない。二次元ならばそういう世界もあるのだと納得する事もそう難くはないし、或いは三次元であったとしても自分が拘束されて多人数の者たちに小便をかけられたり若しくはその逆という画は、なるほど非常に倒錯的で興奮を煽るものに違いはないのだが、しかしそれはあくまでも画的な妄想に過ぎないのであって、匂い立つリアルワールドとはかけ離れているものである。
 実際問題としては小便ですら受け付けることはありえない──大の方は妄想でも無理である──のだ。たとえば今のような梅雨の時期、大雨の日を選んで出来るかぎり厚手のジーパンを履き、見知らぬ人々の行き交う場所でやおら放尿することで興奮を得るといったような行為は理解できるが、それはぎりぎりマゾヒズムの範疇だからである (とはいえ、全てのマゾヒズティックな行為が容易に理解できるというものではないし、そもそも分別が困難である)。
 私にとってのスカトロジィとは、本来排出されては速やかに処理されるべき、ある意味では最も忌み嫌われるものを、積極的に再び体内に戻すだとか、それに触れようとするという行為のことを指すのだ。要するに味覚と嗅覚を刺激するものはスカトロジィである。たとえば流れ出た汗をかき集め、コップに入れてこれを飲むという行為は私にとってスカトロジィの範疇である。全く理解が及ばない。ただし、大の方に限ってはそこに存在するということそれ自体が既にスカトロジィであり──あれのにおいは屋外であっても誤魔化せるものではないと認識しているため、何処にあっても嗅覚を刺激する物質なのだ──、脱糞といったものに対しての興奮も私には理解が難しい。食糞となれば推して知るべしである。前述の放尿も、それ自体はマゾヒスティックな行為ではあるが、その臭いが鼻の奥に到達した時点でそれはスカトロジィである。
 あれらを精製し、排出するという生理が如何に大切なものであり、如何に知るべきものであるということを主張されても、その主張を飲み込んだとしても、私はあれを恐ろしいまでに嫌悪し、汚らわしいと拒否し、そして鼻は曲がり続けるのである。その嫌悪感たるや、私はあれらを連想させる臭いですら断固拒絶する。たとえばトイレの芳香剤の類といったものだ。長い年月を経てたどり着いたであろう、英知の結晶ともいえる芳香剤であるが、私にとっては不快でしかない。無臭こそが正義なのだ。話がそれた。
 しかしそれでも、そういうもの、つまりスカトロジィの世界を愛する人間がこの世には居るのだという事は認めざるを得ないわけであり、またそれを否定する権利など私が持つはずもないのである。第一、人間以外の生き物には自らの汚物を日常的に喰らうものも少なからず存在する。犬を飼っている者ならば自分の飼い犬が己の汚物を口にしているところを見たことがあるかもしれないし、人間と同じ霊長類の者たちでも平然と己の汚物を嚥下することがある。人間がそれを行ったところで、否定される謂れなどないのだ。
 嗜好というものは少なくとも法で管理されていないものに限っては自由であり、認められるべきである。いや、認めるだとか認めないだとかいう論自体が間違っているのだ。それはそこに純然と存在し続けるのだ。それこそ法で禁じられているものであっても、その存在そのものを否定し、根絶することはあまりに困難を極める。人間の肉を裂き、炙って喰らってみたいという願望があったとして、他人にそれをどうこうすることが出来ようか。どだい無理な話なのだ。したがって、あらゆる嗜好はただ平然と放置され、ただ粛々と続行されたり押さえ込んだりし、或いはそれを拒絶するのだという嗜好との戦いに身を置くものである。つまりあらゆる嗜好を否定する事は出来ないのではあるが、他方否定を試みる自由は確実に残されているのである。
 しかし、ある嗜好を自分自身のものとして受け入れ、消化できない場合において、それに何度も挑戦を仕掛けるという行為については、私はやはり、これに対して全く理解が及ばない。しかしこれもまた、自身には到底不可能であると思われる嗜好に立ち向かうのだ・・・という嗜好、であると考えれば、いささかの矛盾点も含まないのではないだろうか。となれば何人もこの、犬のウ○コを、嘔吐し続けながらも喰らおうとする彼の行為を完全に否定することは出来ないのだ。ただただ、無為に否定を試みることだけが許されているに過ぎない。そしてそれは何の役にも立たないのである。
 だがしかし、時を経た彼自身が、過去の行為に対して否定を試みた場合には如何なるというのであろうか。恐らくそれもまた容易くは自由にはならず、つまり彼は過去の嗜好と、それを否定する未来の嗜好とでいわば喧嘩をする事は出来ても、決して過去の行為が砂に埋もれるなどということはなく、ウ○コを喰らおうと七転八倒を為したことは、確定した事象として永遠に刻まれるのである。





 大人しくカリントウ喰ってろよ。
   かんれん!

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