母者がとつぜん綾波カワユスとか言い出して、どうやら私は捨て子ではなかったらしいという事を痛感している。弐拾五、六話を見たときに何と言うかが楽しみである。

ところで破には大きく言って、というよりも大雑把に言って、少なくとも三つの見方があると思う。すなわち、EVAとして見るか、少年漫画として見るか、少女漫画として見るか、だ。他に萌えとかドタバタとか巨大ロボットとか遊戯王とか、まぁ色々あるのだろうがシラーヌ・ド・ゾンゼーヌ。
舞は序盤EVA、中盤少女、終盤少年少女って感じだったが、むろん少年漫画としてみるのが最も楽である。EVAとして見た場合は、正直いって今ひとつ。特に「序」は間違い探しのレベルなどと言われがちであったが、TV+EoEとは比較してはいかん。病が足りないのだわ。破はその分単純に揺るがされるわけで、『映画』としては正解か。更に言えば比較する必要性がないとか。
かといって、EVAであることそのものを忘れて見てしまうと、それはそれで子供だましなんだか悪ふざけなんだか、といったところ。それこそ今度はEVAである必要さえ無いのではないかと思われるほどに。トランスフォーマーで良いじゃんって言う。
ふむ、つまり私的にチョイスするのは、EVAなのに少女漫画のようだ!・・・ふむ、これだ。乱暴に言えば同人とか。涙あり笑いあり、必然性無しのラブ&コメディ。愛染恭子の性感マッサージ以来の名s(
EVAであってEVAでない。ヱヴァだもん・・・・・・と、いう事は、私が勝手に旧EVAの最終的な主題であると解釈したところの、つまり、創作物の否定といったものはQにおいてぶっ潰される可能性が高い・・・・・・筈。破はそのかけがえのないものを予期させてくれた。それを確認するために舞は今一度劇場へ逝く。泣かないように頑張るよ(`・ω・´)