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「でも・・」
「言い訳するんじゃありません」
冷酷な母はそう言って私の頬をぴしゃりと打ち、残忍な父に引き渡した。残忍な父は私を土蔵の中へと放り込み、反省するまで出てくるななどと吐き捨て、その扉を固く閉ざした。私は扉を叩き、殴り、蹴り上げ、体当たりを試み、拳と額からにじむ見えない液体を拭いさりながら泣き喚き、やがて埃のにおいを感じながら座り込み、果ての無い思案に暮れた。
私が叱られたのは、門限を20分ほど破ってしまったからであったが、しかし考えてみれば、それは原因の一要素でしかないということは虫けらの歩みよりもはるかに堅固な現実であった。母は私の"言い分"を"言い訳"であるとして処断し、父はそれを受けて私が反省の意識を持っていないと推測したのだ──それは確かに推測でしかないのだ!──。しかし何故、言い分──或いはむしろ言い訳といっても構わないのだが──はこうも明確に拒否されるのであろうか。そもそも言い分を並べ立てるという行為は、何らかの過ちに至る過程を説明するものであり、或いはその過ちが決して免れることの叶わない、殆ど確定した運命とも呼ぶべきものであって、したがって過ちは過ちではなく、正当に評価すべき結果なのだという主張を行うものである。実際、これを行うのは然るべき権利であるはずだし、また何ぴとも尊厳を以ってして熟考するべき事項のはずだった。しかし今やあらゆる善意の言い分は、悪意ある言い訳として、全く何の思慮分別も検討されないままに燃えカスのように投げ捨てられるのだ。
何故そのように不当な扱いを受けるのかといえば、これは実に簡単な話である。ただ単純に、都合が悪いからなのだ。一度打つ覚悟を決めた対象が生意気な論を持って自己主張など始めてしまうと、本来為すべき目的が空を切ってしまうことになるのだ。したがって話し合いなどは全くの無為であり、或いは害毒であるとさえ決めてかかり、自らの思う道程で予定通りの結論に帰着することが肝要であるとするわけである。特に親という生き物は、子供という生き物に対してこれを行う傾向にあるのではなかろうか。それは躾と銘打たれた調教であるが、しかし実際に、絶対に必要なものである。時には子供同士や大人同士、或いは全くの他人の間で為されるこれらの約束事は、あらゆる生命が持ちうる、讃えるべき性質である。そういった結論に私は大いに喜び、両親に感謝し、額から流れる見えない液体を今一度ぬぐった。
それから恐ろしく長い時間が経った今、私は変わることなくその暗がりにじっと潜んでいた。土蔵は埃の臭いがますますきつくなり──しかもそれには一切慣れることが無く、継続的に不快であった──、額と拳からは見えない液体が流れ続けた。門限を破ってしまった原因、つまり私が言い分として主張すべきことの内容は既にすっかり忘れ去られてしまい、或いは門限を破ったという事実すらも記憶の外に追いやられてしまって、反省するというのはどういうことかと考えあぐね、ふと思いついて、私は暗闇に溶けだした。体積を失った私は自由に地面の上を這い、私の鼻と肺とを存分に苦しめた埃どもを十二分に蹴散らしてやった。ひとまずの安心を得た私は、土蔵の扉へとそっと近づいてみた。ここに入れられた最初の日に私が暴れたという痕跡はもう全然認められなかった。それはただ暗くて見えないだけなのか、それ以外の尤もな理由があるのかはよく分からなかった。訝しげに扉を見上げた私は、更に前進を続行した。扉と地面の間には、今となってはあまりにも大きすぎると言わねばならない隙間が開いている。私は音も無くその隙間に侵入し、土蔵からの脱出は驚くほど容易に成し遂げられた。
外はすっかり夜だった。出来れば太陽の光を浴びてみたいと願ったものだが、今の私にはそんな権利すらないのだろう。星空が薄く輝き、大きく欠けた細身の月が私を見下ろしていた。まるで巻き上げられた埃が光を反射しているようで不快感を覚え、同時に大宇宙が取るに足らないもののように思えた。
私は速いのか遅いのか判別の難しい速度で家を目指した。砂利の上を無音で滑りながら、周囲の静けさに注意した。今は夜だということ以外には大体の時間帯さえも予測が難しかったが、人の気配、明かりといったものが認められなかったことから、既に真夜中は越えてしまっているのだろうと見当をつける。しかし、家の中へと進入してみると、それが間違いであるか、少なくともその推察経路は何の当てにもならないということを了承せざるを得なかった。
家の中はあの土蔵と全く同じ臭いだった。
私は不安に駆られ、真っ暗な家中を這い回り、若しくは飛び回った。何処にも人影は見当たらず、そして居間に貼ってあるカレンダーを発見して愕然とした。それは私の記憶の遠い遠い隅っこに残されたものと、よく一致しているのだ。私が土蔵の中で過ごしたあまりにも長い時間──少なくとも私自身はそれを長いと認識している──と、この見捨てられた建物の老朽具合からみて、あの日から数年か或いは十数年という時が経っていることは明白だった。そしてあの日か、或いはその少しあと、両親は私と家と土蔵とを捨ててどこかへと消えてしまったというわけだ。私は悲しくなってぼんやりと家の中を這った。そして、食事用のテーブルの上に置かれた便箋を見つけ出した。その周りには印鑑や色々な書類、通帳の類が置かれていた。どうやら私に宛てられた物らしいが、もはやそれらに対する興味は失われていた。便箋を遠目からちらりと見たところでは、なにやらのっぴきならない事情で、私の為に私を一時的に隔離したのだという言い分が記されているようであった。私はそれをあっけなく処断し、殆ど無意識に土蔵へと向かっていた。そのとき、土蔵には鍵など存在しておらず、内側からでも実に簡単に開けることが出来るということを発見したのだが、その事実は私に一切の動揺を与えることが出来なかった。私は扉と地面との間の隙間から土蔵へと舞い戻り、忌々しい埃を蹴散らしながら、暗闇を支配するのだった。
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「言い訳するんじゃありません」
冷酷な母はそう言って私の頬をぴしゃりと打ち、残忍な父に引き渡した。残忍な父は私を土蔵の中へと放り込み、反省するまで出てくるななどと吐き捨て、その扉を固く閉ざした。私は扉を叩き、殴り、蹴り上げ、体当たりを試み、拳と額からにじむ見えない液体を拭いさりながら泣き喚き、やがて埃のにおいを感じながら座り込み、果ての無い思案に暮れた。
私が叱られたのは、門限を20分ほど破ってしまったからであったが、しかし考えてみれば、それは原因の一要素でしかないということは虫けらの歩みよりもはるかに堅固な現実であった。母は私の"言い分"を"言い訳"であるとして処断し、父はそれを受けて私が反省の意識を持っていないと推測したのだ──それは確かに推測でしかないのだ!──。しかし何故、言い分──或いはむしろ言い訳といっても構わないのだが──はこうも明確に拒否されるのであろうか。そもそも言い分を並べ立てるという行為は、何らかの過ちに至る過程を説明するものであり、或いはその過ちが決して免れることの叶わない、殆ど確定した運命とも呼ぶべきものであって、したがって過ちは過ちではなく、正当に評価すべき結果なのだという主張を行うものである。実際、これを行うのは然るべき権利であるはずだし、また何ぴとも尊厳を以ってして熟考するべき事項のはずだった。しかし今やあらゆる善意の言い分は、悪意ある言い訳として、全く何の思慮分別も検討されないままに燃えカスのように投げ捨てられるのだ。
何故そのように不当な扱いを受けるのかといえば、これは実に簡単な話である。ただ単純に、都合が悪いからなのだ。一度打つ覚悟を決めた対象が生意気な論を持って自己主張など始めてしまうと、本来為すべき目的が空を切ってしまうことになるのだ。したがって話し合いなどは全くの無為であり、或いは害毒であるとさえ決めてかかり、自らの思う道程で予定通りの結論に帰着することが肝要であるとするわけである。特に親という生き物は、子供という生き物に対してこれを行う傾向にあるのではなかろうか。それは躾と銘打たれた調教であるが、しかし実際に、絶対に必要なものである。時には子供同士や大人同士、或いは全くの他人の間で為されるこれらの約束事は、あらゆる生命が持ちうる、讃えるべき性質である。そういった結論に私は大いに喜び、両親に感謝し、額から流れる見えない液体を今一度ぬぐった。
それから恐ろしく長い時間が経った今、私は変わることなくその暗がりにじっと潜んでいた。土蔵は埃の臭いがますますきつくなり──しかもそれには一切慣れることが無く、継続的に不快であった──、額と拳からは見えない液体が流れ続けた。門限を破ってしまった原因、つまり私が言い分として主張すべきことの内容は既にすっかり忘れ去られてしまい、或いは門限を破ったという事実すらも記憶の外に追いやられてしまって、反省するというのはどういうことかと考えあぐね、ふと思いついて、私は暗闇に溶けだした。体積を失った私は自由に地面の上を這い、私の鼻と肺とを存分に苦しめた埃どもを十二分に蹴散らしてやった。ひとまずの安心を得た私は、土蔵の扉へとそっと近づいてみた。ここに入れられた最初の日に私が暴れたという痕跡はもう全然認められなかった。それはただ暗くて見えないだけなのか、それ以外の尤もな理由があるのかはよく分からなかった。訝しげに扉を見上げた私は、更に前進を続行した。扉と地面の間には、今となってはあまりにも大きすぎると言わねばならない隙間が開いている。私は音も無くその隙間に侵入し、土蔵からの脱出は驚くほど容易に成し遂げられた。
外はすっかり夜だった。出来れば太陽の光を浴びてみたいと願ったものだが、今の私にはそんな権利すらないのだろう。星空が薄く輝き、大きく欠けた細身の月が私を見下ろしていた。まるで巻き上げられた埃が光を反射しているようで不快感を覚え、同時に大宇宙が取るに足らないもののように思えた。
私は速いのか遅いのか判別の難しい速度で家を目指した。砂利の上を無音で滑りながら、周囲の静けさに注意した。今は夜だということ以外には大体の時間帯さえも予測が難しかったが、人の気配、明かりといったものが認められなかったことから、既に真夜中は越えてしまっているのだろうと見当をつける。しかし、家の中へと進入してみると、それが間違いであるか、少なくともその推察経路は何の当てにもならないということを了承せざるを得なかった。
家の中はあの土蔵と全く同じ臭いだった。
私は不安に駆られ、真っ暗な家中を這い回り、若しくは飛び回った。何処にも人影は見当たらず、そして居間に貼ってあるカレンダーを発見して愕然とした。それは私の記憶の遠い遠い隅っこに残されたものと、よく一致しているのだ。私が土蔵の中で過ごしたあまりにも長い時間──少なくとも私自身はそれを長いと認識している──と、この見捨てられた建物の老朽具合からみて、あの日から数年か或いは十数年という時が経っていることは明白だった。そしてあの日か、或いはその少しあと、両親は私と家と土蔵とを捨ててどこかへと消えてしまったというわけだ。私は悲しくなってぼんやりと家の中を這った。そして、食事用のテーブルの上に置かれた便箋を見つけ出した。その周りには印鑑や色々な書類、通帳の類が置かれていた。どうやら私に宛てられた物らしいが、もはやそれらに対する興味は失われていた。便箋を遠目からちらりと見たところでは、なにやらのっぴきならない事情で、私の為に私を一時的に隔離したのだという言い分が記されているようであった。私はそれをあっけなく処断し、殆ど無意識に土蔵へと向かっていた。そのとき、土蔵には鍵など存在しておらず、内側からでも実に簡単に開けることが出来るということを発見したのだが、その事実は私に一切の動揺を与えることが出来なかった。私は扉と地面との間の隙間から土蔵へと舞い戻り、忌々しい埃を蹴散らしながら、暗闇を支配するのだった。
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