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2009.12/24 [Thu]
願いごとは自分の実力で叶えるものですよ どうせ叶うことのない願いなら夢見るだけ無駄と言うものです 夢は捨てました
>>選択式御題 36日目
21.「乞うことにも乞われることにも慣れてしまったあんたのひたむきさ 忘れてしまった何か」
薄汚れた川をまたぐ小さな石橋のちょうど真ん中あたりに、特に必要性を感じさせないベンチが設置してある。青く塗装されていたはずのベンチは今、街灯によって錆びた醜い本性をさらけ出している。時々それをあざ笑うように物静かな車が橋の上を通り抜けた。Rにとってもそのベンチは卑下の対象でしかなかったのであるが、今夜はそこに一人の老人の姿があった。老人を見つけた瞬間、Rの中に特別な感情が走ったように思われた。それが何であるかを思案してみたが、どうやら浅からぬ電撃は記憶の奥底、いや、正確には奥底の記憶といった所から発生したようである。Rには自分でも何の事だかさっぱり分からなかったのだが、少なくとも嫌な感じはしなかった。くたびれた帽子を深く被った老人はRにとって敵ではなさそうだ。それは予感というよりも思い込み、むしろ思いつきであるのだが、同時に名状しがたい確信めいた記憶のようでもあった。
Rは吸い寄せられるように老人へと近づいた。
老人はRの接近に対して全くの無反応で、ただ延々と肩で息をしている。体の調子でも悪いのだろうかと、Rはベンチの前にしゃがみこみ、老人をよく観察しようと試みた。目は帽子の中に完全に隠れてしまっているほどで、大きな鼻の下には白い髭が立派にたくわえられている。血色は悪く、口からははあはあと荒い息が漏れていた。Rは老人の肩に手を置いて話しかけた。
「しっかりしなさい、いったいあなたは病気なのですか」
老人は僅かに顔を上げ、やけに深みのある声で答えた。
「おや、これは変わったお人だ。わしに声をかけるなどどういう了見です。ふふ、なんとも愉快ではありますがね。ええ、それでなんでしたかな、そう、病気。ふふ、わしは病気になどかかりやしませんよ。そうとも、生まれてこの方一度もお目にかかったことがありませんや。病気の方で私から逃げていく有様でしてな。当然です。ま、人様のそれは嫌と言うほど見てきましたがね。ふふ」
苦しそうに喘ぎながらそんなことを言うものだから、Rは何となく馬鹿にされたように思ったのであるが、気を取り直して質問を続けた。
「それではお怪我をなさっておるのでしょう。どれ、ぼくにお見せなさい。ぼくは医者ではないが、今すぐ病院へ連れて行くべきか、それともちょっとした手当てで済みそうかの区別くらいはつけられると思いますよ。あなたの状態を見る限り、どうもぼくなどでは手がつけられないような怪我をなさっておられそうですが、万事はその患部を実際に見てみないことには分かりませんからね。ははあ、このベンチに座り込んでいるということは、足を悪くしたのでしょう、そうでしょう。え、さあ、お見せなさい」
妙にボリュームのあるズボンの裾にRが触れようとすると、老人はそれを左手を差し出すことで静かに禁止した。Rにはその手を払いのけて裾をたくし上げることが出来なかった。おとなしく手を引っ込めると、何も言わずに老人の横へと腰掛けた。
目の前を過ぎていく車を三台ほど見送ってから、Rは口を開いた。
「病気でもない、怪我でもない。となればいったいあなたは何なのです。まさかこんな所で呼吸法の実験をなさっているわけでもありますまい。いったい何を苦しんでおられるのです」
「あなたは本当におかしな人だ。今どき珍しいですよ。御覧なさい、車はまあ、仕方が無いとしても、先ほどからこの橋を何人かの人々が渡っていますが、誰一人としてこのベンチに注目するものはおりません。希薄なんですよ。人に興味を与えない、関与しない、主張しない。自分がベンチであることすら忘れてしまいかねないほど、希薄なんですよ。ふふ、そこにあなたは座っておられる。不思議な人だ」
「話が見えませんよ」とRは不平をもらした。
「あなただって座っておられる。ぼくはベンチもあなたも見つけたし、そこを歩いている人や車だって、その気になれば見つけられます。それに大体、そんなことがあなたの体調に何の関係があるのです」
「わしはこのベンチと同じ、いやそれ以上に希薄なんです。だからわしから見れば、このベンチは光り輝いていると言って良い。ふふ、わしは希薄どころか、もう殆ど消滅していますからね」
Rは何事か悟ったかのような老人の馬鹿げた答えにかっとなった。
「何です、希薄というのはつまり、その主張だとか興味だとか、そういうもの、或いは対象としてのことを仰っておられるようですな。つまり、何です。あなたを見つけ出して余計なおせっかいまで働こうとしたぼくはもっと希薄でつまらない人間だとでも言うのですか。馬鹿馬鹿しい。酷い言いがかりだ。話しの種にもなりやしない」
「誤解なさってはいけません。あなたは全然希薄なんかじゃありませんよ。このベンチがベンチたりえるのも、あなたの持つ影響力と言ったもののお陰でしょうよ。光がなければ何も見えなくなるでしょう?あなたはこのベンチにとっては光であり、しかも目でもあるのです。そこの街灯を消し去ったとしても、あなたはきっと手探りでベンチを見つけるでしょうが、反対にあなたがいなくなって街灯が取り残された場合、このベンチは世の中から消えてしまうに違いない。そこには目がありませんからね」
Rにはこの問答を続ける気力はなかった。いっそのことおもむろに立ち上がって駆けて行ってベンチも老人も消し去ってやろうかなどという想念がわいたが、しかしその馬鹿げた考えに反発する形で尚もベンチに座り続けた。下の川から蛙の声が聞こえ、僅かにそちらへと注意がそれた。
「ふふ、お優しい。昔はね、みんなそうでした」
老人はそういうと、ジャケットのポケットから古びた手帳を取り出した。
「これはね、ほんの二百年前の成果です」
そういって老人があるページを開くと、巨大なホログラムが展開された。幅は2メートルほどだが、高さは全く分からない。暗い夜空に向かって伸びたホログラムの天辺をRには視認できなかった。無限の壁のごときそれには、恐ろしく小さな文字がびっしりと刻まれている。あまりの小ささゆえに、これもRには正しく解読することが出来ないほどだ。目を丸くしたり細めたりしているRに満足したのか、老人はそのページを閉じた。Rは今まで仕事の書類どころか、百貨辞典等でもこれほどの巨大な一ページを見たことはなかった。
「今のはある国での仕事です。実際には世界中全部が相手ですから、こんなものじゃありません」
Rがあっけに取られていると、老人はまた別のページを開いた。が、ホログラムは現れなかった。Rが手帳の中を覗き見ると、それは白紙であった。
「これが今年の仕事。ゼロですよ、ゼロ。世界でね。ふふ、でもね、わしの仕事が求められなくなるというのは、つまり世界中が安定していて、幸福で、しかも自由である証拠なんです。このベンチはまだ、誰かの足を休めることが出来ますが、わしにはもう何も出来ません。必要がないのです」
Rは少しばかり考え込んで、たずねるのだった。
「去年はどうだったんです」
老人は黙って、また別のページを開いた。今度は小さなホログラムが現れ、外国の文字で幾つか書き込まれているのが判った。そして、そこにRが普段から読み書きしている文字種も見分けられた。
「7件です」
老人は寂しそうにそう呟くと、手帳を閉じ、ポケットへとしまいこんだ。
「一つお願いがあるのですが」とRは老人の方へ向かって言い出した。
「二十年ほど前に公開された映画でね、当時ですら考えられなかったんですが、五感接続すらしない時代錯誤の作品があるんです。ただ目で見るだけの、子供だましにもならない映画です。関連会社も軒並み潰れてしまった今となっては、ほぼ完全に無かったことにされているような、どうしようもない映画でね。公開と同時に発売された関連商品も意味なく時代に逆行しようとしたものばかりで・・・・・・ただ、その映画に登場するロボットがいましてね・・・・・・大きいやつです。これの玩具が欲しかったんですよ、ぼく。でも両親に頼んでも、こんな古ぼけたものより良い物が他に幾らでもあるだろうって具合で、買ってもらえなかったんです。そりゃあそうです、骨董的価値もなければレトロとか言うのとも違う、本当にどうしようもない駄作でしたからね。実際、タイトルも思い出せませんよ。子供心にもそれは尤もだという気持ちもあったんですがね、やはり、今でも時々思い出すんですよ。自分でも探したんですが、みんな処分されてしまったのか、全然見つかりません。もしかしたら夢でも見たんじゃないかと思うくらい、人に聞いてもそれらしい映画も見つけられないんです。玩具なんて地球上のどこにも最初から存在してないんじゃないかと疑わずにはいられません。お願いと言うのはつまり、その玩具を探し出して・・・・・・いえ、ぼくにください。あとそれから、ぼくの子供がね、ゲームソフトを欲しがってるんですがね、これは小遣いで買おうと思えばいつだって買えるみたいですが、何と言うか、つまり、それもください」
「あなたは本当に変わったお人だ」
Rがベンチから降りると、ベンチが僅かに浮き上がり、老人は手帳にRとその息子の名を刻んだ。
21.「乞うことにも乞われることにも慣れてしまったあんたのひたむきさ 忘れてしまった何か」
薄汚れた川をまたぐ小さな石橋のちょうど真ん中あたりに、特に必要性を感じさせないベンチが設置してある。青く塗装されていたはずのベンチは今、街灯によって錆びた醜い本性をさらけ出している。時々それをあざ笑うように物静かな車が橋の上を通り抜けた。Rにとってもそのベンチは卑下の対象でしかなかったのであるが、今夜はそこに一人の老人の姿があった。老人を見つけた瞬間、Rの中に特別な感情が走ったように思われた。それが何であるかを思案してみたが、どうやら浅からぬ電撃は記憶の奥底、いや、正確には奥底の記憶といった所から発生したようである。Rには自分でも何の事だかさっぱり分からなかったのだが、少なくとも嫌な感じはしなかった。くたびれた帽子を深く被った老人はRにとって敵ではなさそうだ。それは予感というよりも思い込み、むしろ思いつきであるのだが、同時に名状しがたい確信めいた記憶のようでもあった。
Rは吸い寄せられるように老人へと近づいた。
老人はRの接近に対して全くの無反応で、ただ延々と肩で息をしている。体の調子でも悪いのだろうかと、Rはベンチの前にしゃがみこみ、老人をよく観察しようと試みた。目は帽子の中に完全に隠れてしまっているほどで、大きな鼻の下には白い髭が立派にたくわえられている。血色は悪く、口からははあはあと荒い息が漏れていた。Rは老人の肩に手を置いて話しかけた。
「しっかりしなさい、いったいあなたは病気なのですか」
老人は僅かに顔を上げ、やけに深みのある声で答えた。
「おや、これは変わったお人だ。わしに声をかけるなどどういう了見です。ふふ、なんとも愉快ではありますがね。ええ、それでなんでしたかな、そう、病気。ふふ、わしは病気になどかかりやしませんよ。そうとも、生まれてこの方一度もお目にかかったことがありませんや。病気の方で私から逃げていく有様でしてな。当然です。ま、人様のそれは嫌と言うほど見てきましたがね。ふふ」
苦しそうに喘ぎながらそんなことを言うものだから、Rは何となく馬鹿にされたように思ったのであるが、気を取り直して質問を続けた。
「それではお怪我をなさっておるのでしょう。どれ、ぼくにお見せなさい。ぼくは医者ではないが、今すぐ病院へ連れて行くべきか、それともちょっとした手当てで済みそうかの区別くらいはつけられると思いますよ。あなたの状態を見る限り、どうもぼくなどでは手がつけられないような怪我をなさっておられそうですが、万事はその患部を実際に見てみないことには分かりませんからね。ははあ、このベンチに座り込んでいるということは、足を悪くしたのでしょう、そうでしょう。え、さあ、お見せなさい」
妙にボリュームのあるズボンの裾にRが触れようとすると、老人はそれを左手を差し出すことで静かに禁止した。Rにはその手を払いのけて裾をたくし上げることが出来なかった。おとなしく手を引っ込めると、何も言わずに老人の横へと腰掛けた。
目の前を過ぎていく車を三台ほど見送ってから、Rは口を開いた。
「病気でもない、怪我でもない。となればいったいあなたは何なのです。まさかこんな所で呼吸法の実験をなさっているわけでもありますまい。いったい何を苦しんでおられるのです」
「あなたは本当におかしな人だ。今どき珍しいですよ。御覧なさい、車はまあ、仕方が無いとしても、先ほどからこの橋を何人かの人々が渡っていますが、誰一人としてこのベンチに注目するものはおりません。希薄なんですよ。人に興味を与えない、関与しない、主張しない。自分がベンチであることすら忘れてしまいかねないほど、希薄なんですよ。ふふ、そこにあなたは座っておられる。不思議な人だ」
「話が見えませんよ」とRは不平をもらした。
「あなただって座っておられる。ぼくはベンチもあなたも見つけたし、そこを歩いている人や車だって、その気になれば見つけられます。それに大体、そんなことがあなたの体調に何の関係があるのです」
「わしはこのベンチと同じ、いやそれ以上に希薄なんです。だからわしから見れば、このベンチは光り輝いていると言って良い。ふふ、わしは希薄どころか、もう殆ど消滅していますからね」
Rは何事か悟ったかのような老人の馬鹿げた答えにかっとなった。
「何です、希薄というのはつまり、その主張だとか興味だとか、そういうもの、或いは対象としてのことを仰っておられるようですな。つまり、何です。あなたを見つけ出して余計なおせっかいまで働こうとしたぼくはもっと希薄でつまらない人間だとでも言うのですか。馬鹿馬鹿しい。酷い言いがかりだ。話しの種にもなりやしない」
「誤解なさってはいけません。あなたは全然希薄なんかじゃありませんよ。このベンチがベンチたりえるのも、あなたの持つ影響力と言ったもののお陰でしょうよ。光がなければ何も見えなくなるでしょう?あなたはこのベンチにとっては光であり、しかも目でもあるのです。そこの街灯を消し去ったとしても、あなたはきっと手探りでベンチを見つけるでしょうが、反対にあなたがいなくなって街灯が取り残された場合、このベンチは世の中から消えてしまうに違いない。そこには目がありませんからね」
Rにはこの問答を続ける気力はなかった。いっそのことおもむろに立ち上がって駆けて行ってベンチも老人も消し去ってやろうかなどという想念がわいたが、しかしその馬鹿げた考えに反発する形で尚もベンチに座り続けた。下の川から蛙の声が聞こえ、僅かにそちらへと注意がそれた。
「ふふ、お優しい。昔はね、みんなそうでした」
老人はそういうと、ジャケットのポケットから古びた手帳を取り出した。
「これはね、ほんの二百年前の成果です」
そういって老人があるページを開くと、巨大なホログラムが展開された。幅は2メートルほどだが、高さは全く分からない。暗い夜空に向かって伸びたホログラムの天辺をRには視認できなかった。無限の壁のごときそれには、恐ろしく小さな文字がびっしりと刻まれている。あまりの小ささゆえに、これもRには正しく解読することが出来ないほどだ。目を丸くしたり細めたりしているRに満足したのか、老人はそのページを閉じた。Rは今まで仕事の書類どころか、百貨辞典等でもこれほどの巨大な一ページを見たことはなかった。
「今のはある国での仕事です。実際には世界中全部が相手ですから、こんなものじゃありません」
Rがあっけに取られていると、老人はまた別のページを開いた。が、ホログラムは現れなかった。Rが手帳の中を覗き見ると、それは白紙であった。
「これが今年の仕事。ゼロですよ、ゼロ。世界でね。ふふ、でもね、わしの仕事が求められなくなるというのは、つまり世界中が安定していて、幸福で、しかも自由である証拠なんです。このベンチはまだ、誰かの足を休めることが出来ますが、わしにはもう何も出来ません。必要がないのです」
Rは少しばかり考え込んで、たずねるのだった。
「去年はどうだったんです」
老人は黙って、また別のページを開いた。今度は小さなホログラムが現れ、外国の文字で幾つか書き込まれているのが判った。そして、そこにRが普段から読み書きしている文字種も見分けられた。
「7件です」
老人は寂しそうにそう呟くと、手帳を閉じ、ポケットへとしまいこんだ。
「一つお願いがあるのですが」とRは老人の方へ向かって言い出した。
「二十年ほど前に公開された映画でね、当時ですら考えられなかったんですが、五感接続すらしない時代錯誤の作品があるんです。ただ目で見るだけの、子供だましにもならない映画です。関連会社も軒並み潰れてしまった今となっては、ほぼ完全に無かったことにされているような、どうしようもない映画でね。公開と同時に発売された関連商品も意味なく時代に逆行しようとしたものばかりで・・・・・・ただ、その映画に登場するロボットがいましてね・・・・・・大きいやつです。これの玩具が欲しかったんですよ、ぼく。でも両親に頼んでも、こんな古ぼけたものより良い物が他に幾らでもあるだろうって具合で、買ってもらえなかったんです。そりゃあそうです、骨董的価値もなければレトロとか言うのとも違う、本当にどうしようもない駄作でしたからね。実際、タイトルも思い出せませんよ。子供心にもそれは尤もだという気持ちもあったんですがね、やはり、今でも時々思い出すんですよ。自分でも探したんですが、みんな処分されてしまったのか、全然見つかりません。もしかしたら夢でも見たんじゃないかと思うくらい、人に聞いてもそれらしい映画も見つけられないんです。玩具なんて地球上のどこにも最初から存在してないんじゃないかと疑わずにはいられません。お願いと言うのはつまり、その玩具を探し出して・・・・・・いえ、ぼくにください。あとそれから、ぼくの子供がね、ゲームソフトを欲しがってるんですがね、これは小遣いで買おうと思えばいつだって買えるみたいですが、何と言うか、つまり、それもください」
「あなたは本当に変わったお人だ」
Rがベンチから降りると、ベンチが僅かに浮き上がり、老人は手帳にRとその息子の名を刻んだ。
2009.07/16 [Thu]
闘え・・・・!そして勝て・・・・!あるいは・・・・・・・・死ねっ・・・・!
>>選択式御題 35日目
56.「全てを背負うこと」
彼らを陥れたのは、一体何者であるか。ある人々は、一匹の小さな動物を非難した。純粋な二人をそそのかし、悪の道へと手引きしたその動物を。
二人もまたこれに賛同を示し、涙ながらに許しを請うた。人々は二人に哀れみをかけ、動物を憎みさえした。あたかも罪を犯したのはその動物自身のみであるべきだとでも信じるように。しかしいかにも怪しからぬのは、その動物が人々の噂話をみんな真実であると認めてしまったことだ。虫けらの羽根を一心不乱にむしる猿のような冷たい笑みを浮かべ、黒い企ては今ここに全て成就されたのだと静かに語りさえするのだ。人々は動物のこの態度にいたく感銘を受け、この世に生を受けたあの懐かしい瞬間に匹敵する元気を取り戻して、あらゆる暴力を働いた。悪の道に魅せられた二人も当然これに加担し、全ての生き物が己に課せられた義務を全うしたように思われた。
ところでこの一連の騒動を静観していた別の人々は、この狂乱を理解し得なかった。何故なら、彼らの目には罪を犯した二人は最初から自分の意思に従ってのみ行動を起こしたのであって、事実動物の存在など意にも介さぬといった態であったし、他方、動物は彼らを悪の道へと誘うつもりなどなかったと感ぜられたし、また確信さえ持てたものだ。悪に魅せられたのはこの動物に他ならず、といってそれは嫉妬に起因する羨望に過ぎないのだ。
果たして最大の悪意は、罪の存在を創作した者にあるといえる。いや、それを否定することなく受け入れ・・・いや、事を証明しようと躍起になった人々こそが罰を受けねばならぬ。彼らは責任の所在を二人と動物に烙き付け、姿をくらまして孤独を創世しようとするのだ。動物は人間になれなかったが、人々もまた人間たり得ないのである。
しかし、天寿を全うするためには、この世界を愛するべきである。これに背を向け、先の二人や動物に情けをかけたところで、幸福は訪れない。薄暗い敗北は決して勝利たりえぬし、何らかの策を用いて欺瞞のそれを掴めたとしても、次の呼吸を開始するよりも尚素早く、音のようにぬるりとすり抜けてしまうものだ。
さて、それではここで成功者となるのは誰であろうか。静観の人々は死を背負うことはなかろうが、しかしそれだけである。これは雑草に等しい。
狂乱の人々は言うまでもなく世界そのものであるが故、そこに自由意志など無い。これは家畜小屋に等しい。
それでは動物はどうか。動物は本能に囚われた哀れな罪人であるが、これは思い上がりの家畜そのものである。
結局、救われるのは自ら罪を求めて禁を犯した二人のみのようだ。
56.「全てを背負うこと」
彼らを陥れたのは、一体何者であるか。ある人々は、一匹の小さな動物を非難した。純粋な二人をそそのかし、悪の道へと手引きしたその動物を。
二人もまたこれに賛同を示し、涙ながらに許しを請うた。人々は二人に哀れみをかけ、動物を憎みさえした。あたかも罪を犯したのはその動物自身のみであるべきだとでも信じるように。しかしいかにも怪しからぬのは、その動物が人々の噂話をみんな真実であると認めてしまったことだ。虫けらの羽根を一心不乱にむしる猿のような冷たい笑みを浮かべ、黒い企ては今ここに全て成就されたのだと静かに語りさえするのだ。人々は動物のこの態度にいたく感銘を受け、この世に生を受けたあの懐かしい瞬間に匹敵する元気を取り戻して、あらゆる暴力を働いた。悪の道に魅せられた二人も当然これに加担し、全ての生き物が己に課せられた義務を全うしたように思われた。
ところでこの一連の騒動を静観していた別の人々は、この狂乱を理解し得なかった。何故なら、彼らの目には罪を犯した二人は最初から自分の意思に従ってのみ行動を起こしたのであって、事実動物の存在など意にも介さぬといった態であったし、他方、動物は彼らを悪の道へと誘うつもりなどなかったと感ぜられたし、また確信さえ持てたものだ。悪に魅せられたのはこの動物に他ならず、といってそれは嫉妬に起因する羨望に過ぎないのだ。
果たして最大の悪意は、罪の存在を創作した者にあるといえる。いや、それを否定することなく受け入れ・・・いや、事を証明しようと躍起になった人々こそが罰を受けねばならぬ。彼らは責任の所在を二人と動物に烙き付け、姿をくらまして孤独を創世しようとするのだ。動物は人間になれなかったが、人々もまた人間たり得ないのである。
しかし、天寿を全うするためには、この世界を愛するべきである。これに背を向け、先の二人や動物に情けをかけたところで、幸福は訪れない。薄暗い敗北は決して勝利たりえぬし、何らかの策を用いて欺瞞のそれを掴めたとしても、次の呼吸を開始するよりも尚素早く、音のようにぬるりとすり抜けてしまうものだ。
さて、それではここで成功者となるのは誰であろうか。静観の人々は死を背負うことはなかろうが、しかしそれだけである。これは雑草に等しい。
狂乱の人々は言うまでもなく世界そのものであるが故、そこに自由意志など無い。これは家畜小屋に等しい。
それでは動物はどうか。動物は本能に囚われた哀れな罪人であるが、これは思い上がりの家畜そのものである。
結局、救われるのは自ら罪を求めて禁を犯した二人のみのようだ。
2009.07/05 [Sun]
天国はすごくいいところらしい。だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから。
>>選択式御題 34日目
44.「彼の永遠」
小さな井戸である。直径は大人の腕半分といったところか。その井戸には水をくみ上げるための道具の類は、備え付けられてはいなかった。実は目を凝らしてよく観察してみれば、それらしき痕跡が僅かに見つかりはするのだが、大抵の、自然の人々の目には入らないし、また発見したところでそれ以上の利益や感動は見込めないのである。そしてそれは恐らく、正しいことのように思われた。
他面、井戸の形状を保っている石積みは驚くほど頑堅で、しかも整然として見える。それは明らかに新しい時代の技術だ。つまり、遠目にはその井戸は価値あるものに見えるのだ。何らの装置も施されていないという残忍な現実が、かえって好機に見えたりもするものだから、尚の事である。
ある日のことである。夢見る少年が今、井戸の中へと小石を放り投げた!
哀れなる哉、少年はこの時より、永久に小石の音を待ち続けるのである。
44.「彼の永遠」
小さな井戸である。直径は大人の腕半分といったところか。その井戸には水をくみ上げるための道具の類は、備え付けられてはいなかった。実は目を凝らしてよく観察してみれば、それらしき痕跡が僅かに見つかりはするのだが、大抵の、自然の人々の目には入らないし、また発見したところでそれ以上の利益や感動は見込めないのである。そしてそれは恐らく、正しいことのように思われた。
他面、井戸の形状を保っている石積みは驚くほど頑堅で、しかも整然として見える。それは明らかに新しい時代の技術だ。つまり、遠目にはその井戸は価値あるものに見えるのだ。何らの装置も施されていないという残忍な現実が、かえって好機に見えたりもするものだから、尚の事である。
ある日のことである。夢見る少年が今、井戸の中へと小石を放り投げた!
哀れなる哉、少年はこの時より、永久に小石の音を待ち続けるのである。
2009.06/28 [Sun]
お前はクソゴミ以下のゲロカス野郎 全くヤツに引けを取っちゃいねぇよ
>>選択式御題 33日目
50.「魂の抜け殻」
調教師か、はたまた動物か。そんな選択肢が用意された。しかし、鞭や首輪といったものは一切与えられなかった。
何が起こったか?
誰しもが動物になったのである。かくして動物達は自由気ままに、しかも誰かに教わることも無く多少の芸を披露したりした。選択を迫られることのなかった、或いは拒否した人々はこの動物達に惜しみない拍手を送ったし、動物達の方でも幸福を感じずにいられなかった。
が、それは長くは続かなかった。調教師不在の動物の群れが行う芸には発展性が欠けており、やがて誰も見向きしなくなった。行き場を失い、焦った動物達は賢明に新しい芸を開発しようとするが、全く実らない。一頭、また一頭と飢えに敗れて倒れていく仲間を目の当たりにした動物達は、それまで眠っていた野性の本能を激しく揺さぶった。大きな雄たけびを上げる者、牙をむく者、爪を立てる者・・・。彼らは力の限り、主張した。そして遂に手に入れた自由を謳歌したものだ。
が、いつしか、彼らの首にはきつい首輪がはめられていた。
しかもそれは、調教師によるものではなかった。彼らは喜んだが、理解はしないのだ。
50.「魂の抜け殻」
調教師か、はたまた動物か。そんな選択肢が用意された。しかし、鞭や首輪といったものは一切与えられなかった。
何が起こったか?
誰しもが動物になったのである。かくして動物達は自由気ままに、しかも誰かに教わることも無く多少の芸を披露したりした。選択を迫られることのなかった、或いは拒否した人々はこの動物達に惜しみない拍手を送ったし、動物達の方でも幸福を感じずにいられなかった。
が、それは長くは続かなかった。調教師不在の動物の群れが行う芸には発展性が欠けており、やがて誰も見向きしなくなった。行き場を失い、焦った動物達は賢明に新しい芸を開発しようとするが、全く実らない。一頭、また一頭と飢えに敗れて倒れていく仲間を目の当たりにした動物達は、それまで眠っていた野性の本能を激しく揺さぶった。大きな雄たけびを上げる者、牙をむく者、爪を立てる者・・・。彼らは力の限り、主張した。そして遂に手に入れた自由を謳歌したものだ。
が、いつしか、彼らの首にはきつい首輪がはめられていた。
しかもそれは、調教師によるものではなかった。彼らは喜んだが、理解はしないのだ。
2009.06/11 [Thu]
私のやることにクモの巣を突っ込むな!
>>選択式御題 31日目
36.「ぼくがあんたに最期を与えたいのです」
世界は不公平だと思わないか。いや、違う。そうじゃないんだ。不公平などと。そういう問題じゃないんだ。実際、俺は誰も救っちゃいないんだから、少なくとも、俺は・・・そう、直接崇拝されるなんて事があるはずもない。それはそうだ。間違っちゃいないんだ。その点では。
しかし、しかしだよ。おかしいと思わないか、え。おかしいじゃないか。確かに彼は素晴らしい男だ。英雄だよ、英雄。認めない奴も多いけどね。彼自身もまた認めてないところかもしれないが、しかし誰がなんと言おうが、史実的英雄なのだ。だってそうだろう?
しかし、しかしだよ。おかしいと思わないか、え。おかしいじゃないか。だって、あれは俺の力じゃないか。彼を救える唯一の力は、俺のものじゃないか。いやいや、実行したのは確かにあの方だよ。俺の力を行使したのはあの方なのさ。何ならそれは俺が証明したって良いさ。だけど、あれは俺の力じゃないか。何も、俺を崇め奉れなどとは言わない。ほんの少し思い出してもらえるだけで良いんだ。なのに、幾らなんでも軽んじられすぎじゃないか。え、おかしいじゃないか。あれは俺の力なんだ!
36.「ぼくがあんたに最期を与えたいのです」
世界は不公平だと思わないか。いや、違う。そうじゃないんだ。不公平などと。そういう問題じゃないんだ。実際、俺は誰も救っちゃいないんだから、少なくとも、俺は・・・そう、直接崇拝されるなんて事があるはずもない。それはそうだ。間違っちゃいないんだ。その点では。
しかし、しかしだよ。おかしいと思わないか、え。おかしいじゃないか。確かに彼は素晴らしい男だ。英雄だよ、英雄。認めない奴も多いけどね。彼自身もまた認めてないところかもしれないが、しかし誰がなんと言おうが、史実的英雄なのだ。だってそうだろう?
しかし、しかしだよ。おかしいと思わないか、え。おかしいじゃないか。だって、あれは俺の力じゃないか。彼を救える唯一の力は、俺のものじゃないか。いやいや、実行したのは確かにあの方だよ。俺の力を行使したのはあの方なのさ。何ならそれは俺が証明したって良いさ。だけど、あれは俺の力じゃないか。何も、俺を崇め奉れなどとは言わない。ほんの少し思い出してもらえるだけで良いんだ。なのに、幾らなんでも軽んじられすぎじゃないか。え、おかしいじゃないか。あれは俺の力なんだ!
2009.06/09 [Tue]
今こそ暴力で暴力を封印する時だろう!
>>選択式御題 30日目
62.「彼の最期を看取ったように俺の最期も看取ってください」
誰かが激しく、また不躾にドアを叩いている。ドアに据え付けられている鈴が小さな悲鳴を上げているが、それは蒸し暑い夜に僅かながらに清涼感を与えるものだった。だが今に限ってのそれは、乱暴に叩かれるドアの音に付随するものに過ぎない。深夜の来訪者はどう贔屓目に見ても、やはり不快であると言わざるを得ないようだ。時計を見ようと思って身体も起こさないまま首を動かし、目玉をギョロギョロさせると、想像以上の疲労が感じられた。それはともかく、デジタルの数字はどうやら三時過ぎを示しているらしい。こんな時間に私を叩き起こす権利など、一体誰が有すると言うのか。それはにわかには考えられない問題である。私は勿論、そんな思索は速やかに放棄し、やがてまた目を閉じるのだ。しかし、深夜の来訪者は一向にそれを許そうとはせず、殆ど狂ったようにドアを叩き続けた。小さな子供が打楽器か或いは鍵盤に向かって無造作に拳を振り下ろす時よりも、いっそう悪意に満ちた騒音だ。私は断固として無視することを考えてもみたが、果たしてそれが実を結ぶとは思われない。ならばここは重い身体に鞭打って、この迷惑な来訪者と無為なる議論を展開してでも、この不快極まる状況について迅速に、半ば強引にでも終止符を打つのが上策なのであろう。私はのろのろと起きだし、ドアへと向かったのだが、この時でさえガンガンと力強く打たれる音はやむ気配さえ見せなかった。
錠を外し、ドアを開けると、そこに立っていたのはどうやら隣人のようである。隣人と言ってもこれといった面識はなく、それどころか名前すらすぐには思い起こせないほどなのだが、ともかく彼の表情には怒りの色がうかがえた。夜中に叩き起こされた私には怒りと同程度に困惑も混じっていたため、来訪者――名前はDといったか――との単純な表情の比較においては、彼の方が何やら大きな不快感を持っているように思われた。しかし、そんな事はどうだって良いのだ。私にとって今重要なのは、自らの安全な睡眠であって、Dの生活になど何らの興味も持ち得ないのだ。そのため、私は一言も発することなく、或いは聞くこともなく、ドアを閉めようと考えたのだが、実行に移そうとしたその刹那、Dが口を開いた。
「一体あなたは正気なのですか」
私は呆気に取られて、男の顔を見やった。短い髪は寝癖なのか元々そういう風にしているのか判別のつかない、絶妙な跳ね方をしており、薄く伸びた髭もまた似たような印象を与える。目鼻立ちはくっきりとしており、悪くない造形ではあるのだが、罪なき隣人を叩き起こす――それも単純かつ執拗な手段で!――ような野蛮な男である。それを考慮すれば、ただただ粗暴な人物であるという風にしか見えなくなってくる。それが言うに事欠いて、私を狂人扱いするのだから堪らない。悪意の押し売りではないか。
「いやはや、全くおっしゃる意味がわかりませんがね。通常、それは私の台詞であると思われますよ。全く、どうしたって突然現れたあなたの方が罪を負っているではありませんか。それはもう、確認の手間さえ必要がありません。現にこうして、私の部屋の前に立つあなたは、私の積み上げてきた生活を台無しにしようとしているのですから」
「これはとんだ思い違いだ」
Dは続けた。
「あなたはまず、ご自身の罪について自覚なされるべきだ。あなたは今、こんな夜中に叩き起こされる自分は被害者であるなどとお考えでしょうが、一切合切大間違いですよ。どちらかと言えばこれは罰の範疇なのです。と言っても、この程度の罰で済まされるほど、あなたの罪は軽くはありませんがね」
・・・何書くつもりだったのか忘れたので終わり(水素格爆死
62.「彼の最期を看取ったように俺の最期も看取ってください」
誰かが激しく、また不躾にドアを叩いている。ドアに据え付けられている鈴が小さな悲鳴を上げているが、それは蒸し暑い夜に僅かながらに清涼感を与えるものだった。だが今に限ってのそれは、乱暴に叩かれるドアの音に付随するものに過ぎない。深夜の来訪者はどう贔屓目に見ても、やはり不快であると言わざるを得ないようだ。時計を見ようと思って身体も起こさないまま首を動かし、目玉をギョロギョロさせると、想像以上の疲労が感じられた。それはともかく、デジタルの数字はどうやら三時過ぎを示しているらしい。こんな時間に私を叩き起こす権利など、一体誰が有すると言うのか。それはにわかには考えられない問題である。私は勿論、そんな思索は速やかに放棄し、やがてまた目を閉じるのだ。しかし、深夜の来訪者は一向にそれを許そうとはせず、殆ど狂ったようにドアを叩き続けた。小さな子供が打楽器か或いは鍵盤に向かって無造作に拳を振り下ろす時よりも、いっそう悪意に満ちた騒音だ。私は断固として無視することを考えてもみたが、果たしてそれが実を結ぶとは思われない。ならばここは重い身体に鞭打って、この迷惑な来訪者と無為なる議論を展開してでも、この不快極まる状況について迅速に、半ば強引にでも終止符を打つのが上策なのであろう。私はのろのろと起きだし、ドアへと向かったのだが、この時でさえガンガンと力強く打たれる音はやむ気配さえ見せなかった。
錠を外し、ドアを開けると、そこに立っていたのはどうやら隣人のようである。隣人と言ってもこれといった面識はなく、それどころか名前すらすぐには思い起こせないほどなのだが、ともかく彼の表情には怒りの色がうかがえた。夜中に叩き起こされた私には怒りと同程度に困惑も混じっていたため、来訪者――名前はDといったか――との単純な表情の比較においては、彼の方が何やら大きな不快感を持っているように思われた。しかし、そんな事はどうだって良いのだ。私にとって今重要なのは、自らの安全な睡眠であって、Dの生活になど何らの興味も持ち得ないのだ。そのため、私は一言も発することなく、或いは聞くこともなく、ドアを閉めようと考えたのだが、実行に移そうとしたその刹那、Dが口を開いた。
「一体あなたは正気なのですか」
私は呆気に取られて、男の顔を見やった。短い髪は寝癖なのか元々そういう風にしているのか判別のつかない、絶妙な跳ね方をしており、薄く伸びた髭もまた似たような印象を与える。目鼻立ちはくっきりとしており、悪くない造形ではあるのだが、罪なき隣人を叩き起こす――それも単純かつ執拗な手段で!――ような野蛮な男である。それを考慮すれば、ただただ粗暴な人物であるという風にしか見えなくなってくる。それが言うに事欠いて、私を狂人扱いするのだから堪らない。悪意の押し売りではないか。
「いやはや、全くおっしゃる意味がわかりませんがね。通常、それは私の台詞であると思われますよ。全く、どうしたって突然現れたあなたの方が罪を負っているではありませんか。それはもう、確認の手間さえ必要がありません。現にこうして、私の部屋の前に立つあなたは、私の積み上げてきた生活を台無しにしようとしているのですから」
「これはとんだ思い違いだ」
Dは続けた。
「あなたはまず、ご自身の罪について自覚なされるべきだ。あなたは今、こんな夜中に叩き起こされる自分は被害者であるなどとお考えでしょうが、一切合切大間違いですよ。どちらかと言えばこれは罰の範疇なのです。と言っても、この程度の罰で済まされるほど、あなたの罪は軽くはありませんがね」
・・・何書くつもりだったのか忘れたので終わり(水素格爆死
2009.06/04 [Thu]
オレを絶望させてくれるヤツなんて、いやしねェんだ・・・・・・心から叫んだり喚いたりできるまで、オレを追いつめてくれるヤツなんて、今まで誰一人いやしなかった。
>>選択式御題 29日目
38.「骸と血臭」
それは小さな毒虫である。およそ指一本と言ったところである。も少し正確に記すとあらば、72ミリメートルと言ったところである。
この種の毒虫といえば通例、2倍程度の大きさが予想されているため、これは殆ど物足りぬサイズと言って良い。何の面白みも感じることはなく、それどころか興味を抱かせる要素は一つたりとも見当たらない有様である。つまり、この小さな毒虫は、ただ無意味な毒虫である、という次元にすら至らないのだ。
となれば、これは一体、何であろうか?
毒虫はもはや毒虫としての価値すらも与えられぬ、存在を拒絶された「何か」であると考えられるわけだが、しかし同時に、その「何か」というのはやはり「小さな毒虫」に他ならぬのではないかというわけの分からぬ想念が起ち上がるのを抑止する事は出来そうに無い。毒虫であるという定義と、それ以外の何かであるか、或いは何者ですらもないのだという決して相容れぬ幾つかの事実を内包する、不可思議極まる状態がそこに展開されているわけだ。いうなれば、確定されえぬ種々の可能性がどろどろと混濁し、静かに蠢いているのである。
私はといえば、当然これを許容するわけにはいかない。私自らがとある職人から買い付けた極上の畳の上に、得体の知れぬ、泥のように不可解な価値の汚穢ともいうべきある種の罪が動き回るなど、是が非でも否認すべき現象ではないか。
私はその毒虫――ひとまず、そう呼ぶこと自体に疑問を挿むことはやめようと思う――から目を離すことなく、手探りに座敷箒の柄を掴んだ。毒虫は己に降りかかるであろう大きな危険に対して全く無頓着な様子で、ひっそりと体をねじったりしている。
私は箒を逆手に持ち替えつつ、毒虫に一歩近づいた。毒虫の体が私の影の中に入り、これはいきなり軽率な大失敗をやらかしてしまったなどと懸念されたが、しかし毒虫は相変わらずその場にとどまったまま、触覚をほんの少し揺らすばかりである。
私は半ば無意識に息を止め、毒虫の真上に箒を構えた。膝の高さである。標的を強く睨みつけると、部屋の中に充満する無音の気配が感じられた。じっと動かず、軽い耳鳴りをやり過ごすと、時が止まったかのようだ。当の毒虫はそれを否定するかのように体をねじり、私は瞬きすらせずに機をうかがった。緊張の類が思いのほか感じられなかったのは、先の耳鳴りと共に失せてしまったからなのかも知れない。
そして、その、瞬間が、訪れた。
どれほどの時が過ぎたのか、何をきっかけとしたのかは皆目分からぬのであるが、ともかく私は箒を打ち下ろしたのである!
特殊な手応えらしきものはない。ただ箒を畳にぶつけたという、それだけの感覚だった。箒の毛は毒虫にとって決して柔らかいものではないと思われたが、かといって一撃でその命を奪う保証も無い。不可解な可能性の泥を一掃するとなれば、殊更である。つまり、私は毒虫を殺害したという確固たる自信が持てなかったのだ。せめてこの目で確認しようと、そっと箒を持ち上げた。なんとなく重さを感じずにはいられなかったが、しかしそんな事はどうだって良い。問題なのは、何事も無かったかのように――それは安易な憶測に過ぎないが、反証の手立てもなさそうである――毒虫が歩き出したことである。私は再度箒を打ち下ろし、持ち上げ、打ち下ろし、持ち上げ、打ち下ろし、持ち上げた。実際には最低でも10回は打撃を繰り返したはずであるが、詳細は分からない。無我夢中だったのだ。そのため、眼前の惨劇に気付かなかったのである。
確かに、執拗な打撃は毒虫を死に至らしめることには成功したのであるが、同時に別の問題をばら撒かずにはおれなかった。つまり、毒虫の体を中心に、放射状に散らばった大量の米粒のようなものである。私はそれが卵であることを瞬時に予感し、慄然とした。いや、本当は箒を打ち下ろしながら、それがばら撒かれる情景を確認し、それでいて敢えて黙殺したのかもしれない。どの道、今となっては後悔が意味を持つことなどありえず、息を呑むばかりである。
毒虫の体積と比較して、明らかに矛盾している量の卵たちは即座に活動を開始した。卵は既に卵ではなくなり、微小な幼虫――見かけは蛆に等しい――と化しており、毒虫よりもむしろ活発でさえあった。
私はおぞましい連中を片端から叩き潰そうと試みるのであるが、しかし事態は悪化の一途を辿るばかりのようである。奴らは細胞分裂か何かのように、容易くその数を増していった。畳だけではなく、壁や襖、その他の家具にまで飛散した蛆はなおも元気に這い回る。
私は悲鳴を飲み込み、しかも自分でも呆れるほど冷静に殺虫剤を手にしていた。それがどこに、何故置いてあったのかも本当のところは定かではないが、私は心の隅で最初から認知していたようである。蛆がよじ登ってきている箒を投げ捨て、私は殺虫剤――スプレーである――を部屋中に噴霧した。悶え苦しむ虫けらどもを予期して歓喜に打ち震えたのもつかの間、発射されたのはあらゆる悪鬼をも撃退せしめる業火であった。これは恐ろしいことだ。が、私はこれを中止しようとはしなかった。無力な蛆はえびぞりに体を折り曲げ――実際はそれがえびぞりであるかどうかなど、私には到底分からない。これもまた安易な憶測、というよりはむしろ、希望に近いものである――、その芯を赤く染めた。私の体は言い知れぬ快感を覚え、にわかに熱が篭るのを感じた。私の芯もまた、赤く染まっているかも知れぬ。
周囲はすっかり炎に包まれ、全ての可能性が収束されていく様が見て取れる。
これほど美しい光景を、私は知らない。
38.「骸と血臭」
それは小さな毒虫である。およそ指一本と言ったところである。も少し正確に記すとあらば、72ミリメートルと言ったところである。
この種の毒虫といえば通例、2倍程度の大きさが予想されているため、これは殆ど物足りぬサイズと言って良い。何の面白みも感じることはなく、それどころか興味を抱かせる要素は一つたりとも見当たらない有様である。つまり、この小さな毒虫は、ただ無意味な毒虫である、という次元にすら至らないのだ。
となれば、これは一体、何であろうか?
毒虫はもはや毒虫としての価値すらも与えられぬ、存在を拒絶された「何か」であると考えられるわけだが、しかし同時に、その「何か」というのはやはり「小さな毒虫」に他ならぬのではないかというわけの分からぬ想念が起ち上がるのを抑止する事は出来そうに無い。毒虫であるという定義と、それ以外の何かであるか、或いは何者ですらもないのだという決して相容れぬ幾つかの事実を内包する、不可思議極まる状態がそこに展開されているわけだ。いうなれば、確定されえぬ種々の可能性がどろどろと混濁し、静かに蠢いているのである。
私はといえば、当然これを許容するわけにはいかない。私自らがとある職人から買い付けた極上の畳の上に、得体の知れぬ、泥のように不可解な価値の汚穢ともいうべきある種の罪が動き回るなど、是が非でも否認すべき現象ではないか。
私はその毒虫――ひとまず、そう呼ぶこと自体に疑問を挿むことはやめようと思う――から目を離すことなく、手探りに座敷箒の柄を掴んだ。毒虫は己に降りかかるであろう大きな危険に対して全く無頓着な様子で、ひっそりと体をねじったりしている。
私は箒を逆手に持ち替えつつ、毒虫に一歩近づいた。毒虫の体が私の影の中に入り、これはいきなり軽率な大失敗をやらかしてしまったなどと懸念されたが、しかし毒虫は相変わらずその場にとどまったまま、触覚をほんの少し揺らすばかりである。
私は半ば無意識に息を止め、毒虫の真上に箒を構えた。膝の高さである。標的を強く睨みつけると、部屋の中に充満する無音の気配が感じられた。じっと動かず、軽い耳鳴りをやり過ごすと、時が止まったかのようだ。当の毒虫はそれを否定するかのように体をねじり、私は瞬きすらせずに機をうかがった。緊張の類が思いのほか感じられなかったのは、先の耳鳴りと共に失せてしまったからなのかも知れない。
そして、その、瞬間が、訪れた。
どれほどの時が過ぎたのか、何をきっかけとしたのかは皆目分からぬのであるが、ともかく私は箒を打ち下ろしたのである!
特殊な手応えらしきものはない。ただ箒を畳にぶつけたという、それだけの感覚だった。箒の毛は毒虫にとって決して柔らかいものではないと思われたが、かといって一撃でその命を奪う保証も無い。不可解な可能性の泥を一掃するとなれば、殊更である。つまり、私は毒虫を殺害したという確固たる自信が持てなかったのだ。せめてこの目で確認しようと、そっと箒を持ち上げた。なんとなく重さを感じずにはいられなかったが、しかしそんな事はどうだって良い。問題なのは、何事も無かったかのように――それは安易な憶測に過ぎないが、反証の手立てもなさそうである――毒虫が歩き出したことである。私は再度箒を打ち下ろし、持ち上げ、打ち下ろし、持ち上げ、打ち下ろし、持ち上げた。実際には最低でも10回は打撃を繰り返したはずであるが、詳細は分からない。無我夢中だったのだ。そのため、眼前の惨劇に気付かなかったのである。
確かに、執拗な打撃は毒虫を死に至らしめることには成功したのであるが、同時に別の問題をばら撒かずにはおれなかった。つまり、毒虫の体を中心に、放射状に散らばった大量の米粒のようなものである。私はそれが卵であることを瞬時に予感し、慄然とした。いや、本当は箒を打ち下ろしながら、それがばら撒かれる情景を確認し、それでいて敢えて黙殺したのかもしれない。どの道、今となっては後悔が意味を持つことなどありえず、息を呑むばかりである。
毒虫の体積と比較して、明らかに矛盾している量の卵たちは即座に活動を開始した。卵は既に卵ではなくなり、微小な幼虫――見かけは蛆に等しい――と化しており、毒虫よりもむしろ活発でさえあった。
私はおぞましい連中を片端から叩き潰そうと試みるのであるが、しかし事態は悪化の一途を辿るばかりのようである。奴らは細胞分裂か何かのように、容易くその数を増していった。畳だけではなく、壁や襖、その他の家具にまで飛散した蛆はなおも元気に這い回る。
私は悲鳴を飲み込み、しかも自分でも呆れるほど冷静に殺虫剤を手にしていた。それがどこに、何故置いてあったのかも本当のところは定かではないが、私は心の隅で最初から認知していたようである。蛆がよじ登ってきている箒を投げ捨て、私は殺虫剤――スプレーである――を部屋中に噴霧した。悶え苦しむ虫けらどもを予期して歓喜に打ち震えたのもつかの間、発射されたのはあらゆる悪鬼をも撃退せしめる業火であった。これは恐ろしいことだ。が、私はこれを中止しようとはしなかった。無力な蛆はえびぞりに体を折り曲げ――実際はそれがえびぞりであるかどうかなど、私には到底分からない。これもまた安易な憶測、というよりはむしろ、希望に近いものである――、その芯を赤く染めた。私の体は言い知れぬ快感を覚え、にわかに熱が篭るのを感じた。私の芯もまた、赤く染まっているかも知れぬ。
周囲はすっかり炎に包まれ、全ての可能性が収束されていく様が見て取れる。
これほど美しい光景を、私は知らない。
2009.05/21 [Thu]
それなりに興味深い感想だ。
>>選択式御題 28日目
31..「その美しい白い手を差し出して 云うのでしょう」
この世はくだらぬ・・・・・・そんなくだらぬことに、海の上を漂う糸くずよりも取るに足らぬことに、砂漠に埋もれた一粒の胡麻よりも他愛ないことに、何の抵抗も出来ずに子供は泣いたのだ。
ボロボロと、はらはらと。
喉が渇く。頬が引きつる。
子供の泣き声を聞きつけたのか、猫のサイトウが寄ってきた。
若いサイトウは生意気な表情で子供を見下ろし、何事も無かったように去っていった。
この世はまさにバラ色・・・・・・いかなる不幸もまた、人生を色鮮やかに飾り立てる宝石、どんな史実にも引けを取らない重大な喜びなのだ。あらゆる全てを受け入れて、女は笑ったのだ。
カラカラと。けたけたと。
喉が渇く。頬が引きつる。
女の笑い声を聞きつけたのか、猫のサイトウが寄ってきた。
母になったサイトウは物憂げな表情で、一声上げて鼻で笑った。
31..「その美しい白い手を差し出して 云うのでしょう」
この世はくだらぬ・・・・・・そんなくだらぬことに、海の上を漂う糸くずよりも取るに足らぬことに、砂漠に埋もれた一粒の胡麻よりも他愛ないことに、何の抵抗も出来ずに子供は泣いたのだ。
ボロボロと、はらはらと。
喉が渇く。頬が引きつる。
子供の泣き声を聞きつけたのか、猫のサイトウが寄ってきた。
若いサイトウは生意気な表情で子供を見下ろし、何事も無かったように去っていった。
この世はまさにバラ色・・・・・・いかなる不幸もまた、人生を色鮮やかに飾り立てる宝石、どんな史実にも引けを取らない重大な喜びなのだ。あらゆる全てを受け入れて、女は笑ったのだ。
カラカラと。けたけたと。
喉が渇く。頬が引きつる。
女の笑い声を聞きつけたのか、猫のサイトウが寄ってきた。
母になったサイトウは物憂げな表情で、一声上げて鼻で笑った。
2009.05/12 [Tue]
いいんだよ…人は死んで…!
>>選択式御題 27日目
41.「何度も飲み込んだ愛している」
失われた欲に挑む人があった。無論、女である。女にとってそれは、生きるに当たって何の必要性も無いものである。娯楽にすらなりえぬものである。
しかし今、昔捨てたはずの古い人格がひょっこりと顔を出し、もはや肉など幾らも残ってはいない糸のようなか細い骨で、それを掴もうとしている。それが一体いかなる影響を与えるべきものであるかさえも思い出せぬというのに、女の古い人格は狂乱を背負って求め続けた。女にはそれを求めようとする自身の心理には何の心当たりも無く、それどころか絶対に触れられぬということすらも確信しているのだが、自分自身である筈の古い人格を説き伏せることが出来ないでいたのだ。
しかし実際問題として、古い人格が求めてやまないそれは、躊躇うことなく女を拒否するであろうし、女の方でもそれを受け入れるなどということは不可能である。しかもこれは文字通り、絶対に、である。つまり両者の利害は完全に一致しているといって良い。にも拘らず、古い人格は殆ど消えかかってさえいる骨を引っ込めようとはしないのだ。
全く不可解なことである。無意味ではないか。
通らぬ無理に固執して、何がどうなるというのか。絶対の前ではあらゆる奇跡など無力であるし、よしんば手に入れることが出来たとしても、失われた欲の足しになるものではない。器の無いところに真空の水を注いだとて、何も起こらぬのだ。
懐かしい思い出に浸るという行為に似ているかも知れぬなどとも考えられたが、どうやらそれも違うらしい。では何か秘密めいた、無意味な空想の類であろうか。なるほど、こちらの方が的を射ていそうだ。女が絶対の不幸であるのに対して――そう、これは自他共に認める、決定的不幸である――、空想が必ずしもそうと限らない点は見逃せぬ大きな相違であるが、いや、そんな比較はどうでもよろしい。肝心なことは女がそれを目の前にしながら、涙に暮れているという事実――事実などと!これは明らかに虚言だ。つまり女は、涙など流すことが出来ないのだ。それ自体もまた、失われた欲に内包されるところの、きわめて単純に言えば一種の不自由である――であり、或いは我々が容易にそれを得る事ができるという事実――こちらは事実と言い切っても多くの場合において問題無い――であろう。しかも我々はそれに対する欲を所持しており、あらゆる感情を生み出すことも可能なのだ。この点について、我々はどうやら幸福である。少なくとも女の目からは幸福である。
同じように、別の点においては女は誰よりも幸福であるのかもしれない。
女は昔、自ら進んでその欲を捨てたのだ。代わりに何か得体の知れぬもの、つまり違った形の幸福の類を拾っていたとしても、不思議ではなかろう。実際、女は自分が全てにおいて不幸などとは思いもよらぬところである。そういった諸々の価値も失われているのかも知れぬ。ただ周囲の者があれこれと憶測を並べるに過ぎない。いや、憶測などではなく、これは希望である。要するに我々は血肉の牢獄から抜け出したこの女を蔑むことで、自分は正しいのだと主張する根拠としているのである。女はそんな我々を指して醜いなどとは決して言わず、我々が勝手に争う様を傍観するのみである。
こうなってくると、どうやら幸福の比較はこの女に分がありそうだ。では何故、我々は不自由の塊である肉体を脱ぎ捨てないのか?既に手段は用意されているし、実際その女は別の次元に存在しているではないか。
答えは簡単である。つまり、目の前のラーメンこそが原罪であり、希望であり、或いは誇りなのだ。
41.「何度も飲み込んだ愛している」
失われた欲に挑む人があった。無論、女である。女にとってそれは、生きるに当たって何の必要性も無いものである。娯楽にすらなりえぬものである。
しかし今、昔捨てたはずの古い人格がひょっこりと顔を出し、もはや肉など幾らも残ってはいない糸のようなか細い骨で、それを掴もうとしている。それが一体いかなる影響を与えるべきものであるかさえも思い出せぬというのに、女の古い人格は狂乱を背負って求め続けた。女にはそれを求めようとする自身の心理には何の心当たりも無く、それどころか絶対に触れられぬということすらも確信しているのだが、自分自身である筈の古い人格を説き伏せることが出来ないでいたのだ。
しかし実際問題として、古い人格が求めてやまないそれは、躊躇うことなく女を拒否するであろうし、女の方でもそれを受け入れるなどということは不可能である。しかもこれは文字通り、絶対に、である。つまり両者の利害は完全に一致しているといって良い。にも拘らず、古い人格は殆ど消えかかってさえいる骨を引っ込めようとはしないのだ。
全く不可解なことである。無意味ではないか。
通らぬ無理に固執して、何がどうなるというのか。絶対の前ではあらゆる奇跡など無力であるし、よしんば手に入れることが出来たとしても、失われた欲の足しになるものではない。器の無いところに真空の水を注いだとて、何も起こらぬのだ。
懐かしい思い出に浸るという行為に似ているかも知れぬなどとも考えられたが、どうやらそれも違うらしい。では何か秘密めいた、無意味な空想の類であろうか。なるほど、こちらの方が的を射ていそうだ。女が絶対の不幸であるのに対して――そう、これは自他共に認める、決定的不幸である――、空想が必ずしもそうと限らない点は見逃せぬ大きな相違であるが、いや、そんな比較はどうでもよろしい。肝心なことは女がそれを目の前にしながら、涙に暮れているという事実――事実などと!これは明らかに虚言だ。つまり女は、涙など流すことが出来ないのだ。それ自体もまた、失われた欲に内包されるところの、きわめて単純に言えば一種の不自由である――であり、或いは我々が容易にそれを得る事ができるという事実――こちらは事実と言い切っても多くの場合において問題無い――であろう。しかも我々はそれに対する欲を所持しており、あらゆる感情を生み出すことも可能なのだ。この点について、我々はどうやら幸福である。少なくとも女の目からは幸福である。
同じように、別の点においては女は誰よりも幸福であるのかもしれない。
女は昔、自ら進んでその欲を捨てたのだ。代わりに何か得体の知れぬもの、つまり違った形の幸福の類を拾っていたとしても、不思議ではなかろう。実際、女は自分が全てにおいて不幸などとは思いもよらぬところである。そういった諸々の価値も失われているのかも知れぬ。ただ周囲の者があれこれと憶測を並べるに過ぎない。いや、憶測などではなく、これは希望である。要するに我々は血肉の牢獄から抜け出したこの女を蔑むことで、自分は正しいのだと主張する根拠としているのである。女はそんな我々を指して醜いなどとは決して言わず、我々が勝手に争う様を傍観するのみである。
こうなってくると、どうやら幸福の比較はこの女に分がありそうだ。では何故、我々は不自由の塊である肉体を脱ぎ捨てないのか?既に手段は用意されているし、実際その女は別の次元に存在しているではないか。
答えは簡単である。つまり、目の前のラーメンこそが原罪であり、希望であり、或いは誇りなのだ。
2009.04/25 [Sat]
でも、いい涙みたいだから、許したげる
>>選択式御題 26日目
29.「愛する人よ 僕等は倖せでした」
それを見せて呉れるな。それを豫感させてもならぬ。
それは部屋の隅の暗がりでも尚怪しくる、全くの兇器なのだ!
お前はそれが如何に恐ろしいものであるかをまるで知らぬやうに、それどころか何の意思もなく――ふむ、それはむしろ、意思に反してかも知れぬ!――私に向けるのだ。これはあつてはならぬ事であるし、勿論私はそれを全力で拒絶せねばなるまい。
わかるかね?私はもう、我慢の限界なのだ。もう終わりだ。今日で最後だ。尚もそれを私に突きつけるというのならば、私はお前を殺すほかに無い!
しかし言うまでも無く、私は人を殺したくはないのである。それは自分の手を汚したくないという至極単純な、それでいて獣を拒否する奇天烈な想念に因るものであるが、ああ、そんな事は何だって良い。ともかく、お前には私に殺されぬよう、最大限の努力が要請されるわけだ。互いの幸討魍量鵑垢諤であるが、これは確かに至難である!
しかも、それは私の素知らぬ時、見知らぬ土地で静かに用意されたとしても、許容されることがない。永劫に亘つて完全に禁じられるべきである。それほどに重い罪なのだ。
わかるかね。お前は李遊命に、凍てつく空の下であろうが、灼熱の磐の上であろうが、この聖なる義務を全うするがよろしい。
無論、私はこれについてあらゆる協力を惜しまないものである。
29.「愛する人よ 僕等は倖せでした」
それを見せて呉れるな。それを豫感させてもならぬ。
それは部屋の隅の暗がりでも尚怪しくる、全くの兇器なのだ!
お前はそれが如何に恐ろしいものであるかをまるで知らぬやうに、それどころか何の意思もなく――ふむ、それはむしろ、意思に反してかも知れぬ!――私に向けるのだ。これはあつてはならぬ事であるし、勿論私はそれを全力で拒絶せねばなるまい。
わかるかね?私はもう、我慢の限界なのだ。もう終わりだ。今日で最後だ。尚もそれを私に突きつけるというのならば、私はお前を殺すほかに無い!
しかし言うまでも無く、私は人を殺したくはないのである。それは自分の手を汚したくないという至極単純な、それでいて獣を拒否する奇天烈な想念に因るものであるが、ああ、そんな事は何だって良い。ともかく、お前には私に殺されぬよう、最大限の努力が要請されるわけだ。互いの幸討魍量鵑垢諤であるが、これは確かに至難である!
しかも、それは私の素知らぬ時、見知らぬ土地で静かに用意されたとしても、許容されることがない。永劫に亘つて完全に禁じられるべきである。それほどに重い罪なのだ。
わかるかね。お前は李遊命に、凍てつく空の下であろうが、灼熱の磐の上であろうが、この聖なる義務を全うするがよろしい。
無論、私はこれについてあらゆる協力を惜しまないものである。
2009.03/28 [Sat]
大切にするがいい さらに失うために
>>選択式御題 25日目
30.「死と近すぎたひと」
恐ろしい体験。例えばそれは死である。誰もが恐れるそれに直面し、あわや手が触れんばかりの窮地に立ちながらも、幸運にして、或いはその他の必然なる事情に於いて生還を果たした人々がいる。その体験は経験として当事者の脳に刻み込まれ、そして多くの場合、消えることがない。無論、その重大な情報はただの記録として無機質に保存されるだけではない。記録と記憶の間には、越えられぬ差というものが確かにあるのだ。そのいくつかの差の中から、今回ちょっとばかり取り上げるのが、記憶による感情への干渉についてである。
記録というものは普通、それを知覚し、意識的に参照することで初めて次の行動へと影響を及ぼすものであるが、こと記憶に関しては、この参照という行為の必要を欠くわけである。いや、結局それは同じこと・・・・・・ふむ!幾分か正確に、或いは乱暴に言い切ってしまうならば、無意識の参照が行われているということである。記録と記憶の間に頑強な橋が架かったことになるが、しかし実はそんな事はどうだって良いのだ!記憶などと!
さて、死に漸近した者が無意識下に於いて、その記憶を参照した場合に起こる感情というのが、つまり生への喜びである。時として執着といってよろしい。記憶から生まれる欲求だ。これが死との隣接を体験したことのない者との比較時に最もよく現れる差であろう。要するに、ただ生きているというそれだけのことで幸福感を得られるか否かといった差である。
しかし、最初の体験が恐怖ではなく、快楽であった場合はどうか?その場合は全く事情を異にするであろう事は容易に予見できる。恐怖の体験は、それとは反対の価値を見出すのに、快の体験は欲の増長に尽力するのだ。より強い快を繰り返したいという欲求が、とめどなく溢れるのだ。いや、結局それは同じこと・・・・・・ふむ!つまり、事情が異なるが故に、結果として同じものが得られるという異常事態である。恐怖を知った者が日常に幸福を見出す行為は、言い換えれば恐怖体験そのものが快楽と同義であるということだ。事実、日常に幸福を見出したからといって、それに満足する者は少ない。更なる快を求め、あろうことか更なる恐怖さえ欲するのだ。恐怖を知った者も、快を得た者も、全てが死に向かってひた走るのだ。
思えばこれは、至極当然のことである。
満足を得たならば以降は静止することなどできずに堕落の道しか残されておらず、ならばその場で死を選ぶが道理であり、多面満足を得られなかったとなれば、これは更に死を目指して邁進する他にない。欲は死に触れなければ完遂することはなく、だからと言って死に触れることで欲が満たされるという保証などありはしないし、やり直しも困難を極める。確信が持てぬ限り、それには触れてはならぬのか、となれば、死に隣接しながらも生き延びた者どもは総じて幸福である義務を背負うし、そして実は死に隣接しなかった生命など皆無であるという紛れなき事実を鑑みるに・・・・・・
30.「死と近すぎたひと」
恐ろしい体験。例えばそれは死である。誰もが恐れるそれに直面し、あわや手が触れんばかりの窮地に立ちながらも、幸運にして、或いはその他の必然なる事情に於いて生還を果たした人々がいる。その体験は経験として当事者の脳に刻み込まれ、そして多くの場合、消えることがない。無論、その重大な情報はただの記録として無機質に保存されるだけではない。記録と記憶の間には、越えられぬ差というものが確かにあるのだ。そのいくつかの差の中から、今回ちょっとばかり取り上げるのが、記憶による感情への干渉についてである。
記録というものは普通、それを知覚し、意識的に参照することで初めて次の行動へと影響を及ぼすものであるが、こと記憶に関しては、この参照という行為の必要を欠くわけである。いや、結局それは同じこと・・・・・・ふむ!幾分か正確に、或いは乱暴に言い切ってしまうならば、無意識の参照が行われているということである。記録と記憶の間に頑強な橋が架かったことになるが、しかし実はそんな事はどうだって良いのだ!記憶などと!
さて、死に漸近した者が無意識下に於いて、その記憶を参照した場合に起こる感情というのが、つまり生への喜びである。時として執着といってよろしい。記憶から生まれる欲求だ。これが死との隣接を体験したことのない者との比較時に最もよく現れる差であろう。要するに、ただ生きているというそれだけのことで幸福感を得られるか否かといった差である。
しかし、最初の体験が恐怖ではなく、快楽であった場合はどうか?その場合は全く事情を異にするであろう事は容易に予見できる。恐怖の体験は、それとは反対の価値を見出すのに、快の体験は欲の増長に尽力するのだ。より強い快を繰り返したいという欲求が、とめどなく溢れるのだ。いや、結局それは同じこと・・・・・・ふむ!つまり、事情が異なるが故に、結果として同じものが得られるという異常事態である。恐怖を知った者が日常に幸福を見出す行為は、言い換えれば恐怖体験そのものが快楽と同義であるということだ。事実、日常に幸福を見出したからといって、それに満足する者は少ない。更なる快を求め、あろうことか更なる恐怖さえ欲するのだ。恐怖を知った者も、快を得た者も、全てが死に向かってひた走るのだ。
思えばこれは、至極当然のことである。
満足を得たならば以降は静止することなどできずに堕落の道しか残されておらず、ならばその場で死を選ぶが道理であり、多面満足を得られなかったとなれば、これは更に死を目指して邁進する他にない。欲は死に触れなければ完遂することはなく、だからと言って死に触れることで欲が満たされるという保証などありはしないし、やり直しも困難を極める。確信が持てぬ限り、それには触れてはならぬのか、となれば、死に隣接しながらも生き延びた者どもは総じて幸福である義務を背負うし、そして実は死に隣接しなかった生命など皆無であるという紛れなき事実を鑑みるに・・・・・・
2009.03/18 [Wed]
男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる。
>>選択式御題 24日目
55.「それだけが叶えばいいと願う だけ」
やあ、こんにちは、こんにちは。
畜生、誰も何も言いやしない!
よし、一つ驚かしてやろう。君たちや君たちの祖先の全部――そう、全部だ!――が未だかつて知る由もなかった、光というやつだ。見るが良い、あたり一帯をまぶしく照らす光だ。君たちにしてみればこれはきっと、神にも等しい。刺激が強すぎるかねこりゃ。はっはっは。
畜生!奴らには目なんてありゃしない!
ああそうかい。鉄の塊だと思って馬鹿にしているんだろう。ふん!それならそれで全然かまわないよ。君たちはこれからも永劫、この暗闇のそこで蠢いていれば良いさ!
うん、何だね君は。はは、こいつは驚いた。目を見張る醜さだ!この世のものとは思えないね君!今更何か用かね、え?何だって?
畜生、聞こえやしない!
55.「それだけが叶えばいいと願う だけ」
やあ、こんにちは、こんにちは。
畜生、誰も何も言いやしない!
よし、一つ驚かしてやろう。君たちや君たちの祖先の全部――そう、全部だ!――が未だかつて知る由もなかった、光というやつだ。見るが良い、あたり一帯をまぶしく照らす光だ。君たちにしてみればこれはきっと、神にも等しい。刺激が強すぎるかねこりゃ。はっはっは。
畜生!奴らには目なんてありゃしない!
ああそうかい。鉄の塊だと思って馬鹿にしているんだろう。ふん!それならそれで全然かまわないよ。君たちはこれからも永劫、この暗闇のそこで蠢いていれば良いさ!
うん、何だね君は。はは、こいつは驚いた。目を見張る醜さだ!この世のものとは思えないね君!今更何か用かね、え?何だって?
畜生、聞こえやしない!
2009.03/03 [Tue]
この想いはきっと 一生消えることはないと思うから――
>>選択式御題 23日目
17.「きえたあした」
小さな帰り路、彼は確かな命の衝撃を見た。
びっくりして、それでも手を伸ばして、大きな声で。結局だめで。
神様が聞く。どうして助けてあげられなかったの?
悪魔が聞く。どうして殺したの?
怖くって、悲しくって。何が悪かったのだろう。誰が悪かったのだろう。
ぼくのせいじゃない、そう言っても良かったのに。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
いいえこちらこそ。
17.「きえたあした」
小さな帰り路、彼は確かな命の衝撃を見た。
びっくりして、それでも手を伸ばして、大きな声で。結局だめで。
神様が聞く。どうして助けてあげられなかったの?
悪魔が聞く。どうして殺したの?
怖くって、悲しくって。何が悪かったのだろう。誰が悪かったのだろう。
ぼくのせいじゃない、そう言っても良かったのに。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
いいえこちらこそ。
2009.02/24 [Tue]
この廃城でお前は生涯おれにやさしくされて暮らすのだ・・・・・・
>>選択式御題 22日目
14.「ぶきようなぼくはそれでもきみをあいしたかったのです」
嗚呼、お前よ!お前は何て・・・・・・嗚呼!
見ろ!暗い哀しい橋の上で女が泣いている。お前よ、そんな顔をしてはいけないよ。ほら、つまりお前は・・・・・・そう、だから、目を開くのだ。目をそらしてはいけない。あの女を見ろ!水かさが増えていく。いけない。何をしている。集中するのだ、お前よ!光が、そう、陳腐な光が砂漠の向こうからやってくる。分かるだろう。それはやがて束となって、橋へと伸びる・・・・・・そうだ。もう私は見えない。そのまま・・・・・・そのまま・・・・・・それで良い・・・・・・振り返ったりしたら殺してやるから。必ず殺してやるから・・・・・・。
なに、残りかすは全て私が引き受けよう。つまり、そう、お前がしてきたように!
なに、この程度の川の水は恐るに足らない。笑みさえ浮かべて飲み干してくれよう。つまり、そう、お前がしてきたように!
振り返ったりしたらお前のそれを全部否定してやるから・・・・・・
よろしい・・・・・・よろしい・・・・・・ああ、お前は最後まで・・・・・・。
私はお前になろう。つまり、そう、必ずなろう。
14.「ぶきようなぼくはそれでもきみをあいしたかったのです」
嗚呼、お前よ!お前は何て・・・・・・嗚呼!
見ろ!暗い哀しい橋の上で女が泣いている。お前よ、そんな顔をしてはいけないよ。ほら、つまりお前は・・・・・・そう、だから、目を開くのだ。目をそらしてはいけない。あの女を見ろ!水かさが増えていく。いけない。何をしている。集中するのだ、お前よ!光が、そう、陳腐な光が砂漠の向こうからやってくる。分かるだろう。それはやがて束となって、橋へと伸びる・・・・・・そうだ。もう私は見えない。そのまま・・・・・・そのまま・・・・・・それで良い・・・・・・振り返ったりしたら殺してやるから。必ず殺してやるから・・・・・・。
なに、残りかすは全て私が引き受けよう。つまり、そう、お前がしてきたように!
なに、この程度の川の水は恐るに足らない。笑みさえ浮かべて飲み干してくれよう。つまり、そう、お前がしてきたように!
振り返ったりしたらお前のそれを全部否定してやるから・・・・・・
よろしい・・・・・・よろしい・・・・・・ああ、お前は最後まで・・・・・・。
私はお前になろう。つまり、そう、必ずなろう。
2009.02/14 [Sat]
その涙がわたしを一層つよくするだろう
>>選択式御題 21日目
5.「傷を飲み込んだ或の日」
名前も知らない虫けらが、ぼくを睨みつけている。真っ黒な目はまるで宝石みたいに綺麗で、それが本当に感覚器官なのか疑いたくもなる。
感覚器官だって。笑っちゃうね。
人間みたいにギョロギョロと動くこともなく、ただ一点、つまりぼくの目をじっと見つめるのだ。
「何だコノヤロウ」
虫けらのクセに、全く臆するところがない。生意気なやつだ。
目のすぐ近くから生えている短い触角が僅かに動いて、間接的にぼくを認識しているようだ。
認識だって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
声が震えていたけれど、気付かないフリをした。
よく見ると、虫けらはぼくのことなんて見てはいなかった。生意気なやつだ。いやいや違うぞ。さっきまでは確かに見ていたんだ。それなのに、なんだか哀れみを込めて目をそらした感じ。
哀れみだって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
虫けらはぼくのことなんか最初から知らない風で、遠くを見つめている。生意気なやつだ。詩人か哲学者みたいだ。遠い遠い、ぼくの手も目も届かないところをじっと見つめて、憂えているようだ。
憂いだって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
こんな虫けらの考えもぼくには理解が出来ないのかと思うと、震える声はもうほとんど声でなくなっていた。
虫けらは暖炉の火に飛び込んだし、ぼくは泣いたし、時計の鐘が鳴りもした。笑っちゃうね。
5.「傷を飲み込んだ或の日」
名前も知らない虫けらが、ぼくを睨みつけている。真っ黒な目はまるで宝石みたいに綺麗で、それが本当に感覚器官なのか疑いたくもなる。
感覚器官だって。笑っちゃうね。
人間みたいにギョロギョロと動くこともなく、ただ一点、つまりぼくの目をじっと見つめるのだ。
「何だコノヤロウ」
虫けらのクセに、全く臆するところがない。生意気なやつだ。
目のすぐ近くから生えている短い触角が僅かに動いて、間接的にぼくを認識しているようだ。
認識だって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
声が震えていたけれど、気付かないフリをした。
よく見ると、虫けらはぼくのことなんて見てはいなかった。生意気なやつだ。いやいや違うぞ。さっきまでは確かに見ていたんだ。それなのに、なんだか哀れみを込めて目をそらした感じ。
哀れみだって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
虫けらはぼくのことなんか最初から知らない風で、遠くを見つめている。生意気なやつだ。詩人か哲学者みたいだ。遠い遠い、ぼくの手も目も届かないところをじっと見つめて、憂えているようだ。
憂いだって。笑っちゃうね。
「何だコノヤロウ」
こんな虫けらの考えもぼくには理解が出来ないのかと思うと、震える声はもうほとんど声でなくなっていた。
虫けらは暖炉の火に飛び込んだし、ぼくは泣いたし、時計の鐘が鳴りもした。笑っちゃうね。



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